今回の平成大修復は、中山工芸・中山勘治(鳥取県伝統工芸士)様にお願いしています。 |
5月1日に獅子の頭を解体していただいたところ、獅子舌の裏側より木札を紙札が発見されました。
木札には、 |
表面 『天明八年申ノ歳作之』 |
裏面 『 木田宗彌 (花押)』 |
と記されていました。
このことから、湯所神社が保有するこの獅子は天明8年木田宗彌さんによって作られたことが判明しました。 |
天明8年は1788年(戊申)で、天明年間は江戸時代中期-後期にあたり、浅間山の大噴火、また海外でもアイスランドのラキ火山等の噴火など災害が勃発、それらによる冷害による被害などで疲弊した農村部に「天明の飢饉(江戸四大飢饉の中で最大規模)」と呼ばれる食糧難や疫病が生じた時代でした。時の政権は田沼意次の全盛期で時人も「田沼の時代」とも称され、天明8年他界している。 |
紙札には、 |
『弘化三年九月吉日 田中與市塗替之』 |
と記されていました。
このことから、弘化3年に田中與市さんによって一度塗り替えられたことが伺えます。 |
弘化3年は1846年(丙午)で、天明8年から58年経っています。この年は、享保5年(1720)の石黒火事によって焼失した鳥取城二ノ丸が約130年ぶりに再建された年にもなっています。 弘化の前の天保年間に「天保の改革(江戸三大改革の一つ)」と呼ばれる財政再建のための改革を水野忠邦が実施。鳥取弘化の年代は、藩内の財政・経済も安定した時代だったのでしょうか? |